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日本人は英語下手な科学的根拠がわかった!

日本人は英語が苦手、中高大と10年も習ったのに英語がしゃべれない、というのには、あきらかな理由があるはずである。それはなにか。ベストセラー「バカの壁」の著者である養老孟司がこういっている。

必要なら外国語くらいだれでも話せる。何語であろうと、人間が話している以上、学べないことはない。もっとも大切なことは、それによって、なにを学び、なにを語るのか、である。

言うことがないのに、しゃべることができても意味がない。聞くことができても、聞きたいことがなくては、やはり意味がない。まず母国語で、真の意味で「知る」こと、それが外国語学習のいちばんの近道であろう。阿部謹也編『私の外国語修得法』

ほら、ここに答えのヒントが出ている。「必要なら外国語くらいだれでも話せる」である。つまり、英語がほんとうに日本人に必要であるなら、日本人は英語ができるようになるのである。その上に、好きなら、さらに鬼に金棒である。若桑みどりもまたこのようにいっている。

語学自体が目的ではない学生には、その専門性にもとづいた方向性をもたせることがもっとも大切である。基礎はこれにかぎらないが、基礎をはじめるときから重要なのは動機づけである。動機と興味と強い必要性にもとづかない場合、本来語学がすぎではない人間に語学修行はできない。必要は語学の母、これが格言である。(同書)

これが答えである。ただ、「必要は語学の母」だけでも不十分かもしれない。いかにそれが「必要」かを自覚することが必要だし、必要度の問題もある。自分がやらねば、という、「必要」を支える意志が必要である。「好きこそものの上手なれ」という諺がある。好きであれば持続する。

ついに持続がなければ、いかに「必要」でも、いろんな弁解をしつつ、やがては「必要」を放り出してしまうのである。いずれにせよ、日本人の英語下手は、先にふれた薬師寺氏がいったように、そもそも日本人には英語が不要だから、である。不要だから勉強しない、勉強しないから、当然しゃべれない。民族的劣等性なのか、と嘆くことはないのであった。しゃべれなくて当たり前だったのである。

受験に必要だから、なるほどそれなりに勉強はした。構文も単語も覚えた。その過程で英語が好きになった者がいないわけではない。が、大半の者は、試験が終わったら、きれいさっぱりと忘れちまったのである。

殊勝にも、今後、自分の人生において英語が必要になるかもしれないと思った者は、個人的に勉強を継続したかもしれない。ラジオやテレビや英会話学校によって。だが、やっているうちに、金も時間も根気も続かなくなって、いつの間にかやめちまったのである。こんなことやっててほんとに必要になるのかね、とか、だって、ほかに楽しいことがいっぱいあるんだもん、とかいって。

いずれにせよ、これですっきりした。日本人は民族的特性として英語ができないのではない。日本人には英語が必要でないから、日本人は真剣に勉強しなかった、だから、朝日が東から昇るように、水が高きところから低きところへ流れるように、英語が下手くそ、なのである。あなた、42.195キロのマラソン完走できないでしよ。訓練してないから。そう、たったそれだけの理由なのである。

茨城キリスト教大学の藤田悟氏は、このようにはっきり明言している。「結論から言えば、大半の日本人にとって、英語は必要ないし、必要がないから日本人は英語がヘタなのだという平凡な答えが導き出される」(『それでも英語やりますか』洋泉社)。で、さらにいうなら、ヘタでいいのである。必要ないんだから。

ところがいまや、日本人にとっての「英語」は、そんなレベルを遥かに超えたものになっているところが問題なわけである。なにしろ英語は「かっこいい」。頭のいいことを象徴する「シンボル」である。それに「国際化の時代」「グローバル化の時代」ではないか。21世紀に生きるわれわれには必要どころか、必須ではないか。こういうふうに煽る人がいるから、こういう強迫観念にとりつかれるのである。

藤田悟氏は、このような「英語ができるようにならなければならない」という強迫観念につかれたものを「英語病」といっている。

「①必要でもない英語を『自分にとって必要なのだ一と思い込み、②必ずしもそうとは言い切れないのに『自分は英語ができない!』と決めけ、その挙句、③たかだか英語だけのことなのに、落ち込んであくせく悩む」という人のことである。

これにわたしが勝手に④一度、かなり上達してしまうと、話せないやつらを内心ばかにして、自分は情けない優越感に浸る、というのを付け加えてもいい。

藤田氏が学生たちに、「何でみんな、英語を勉強するの」と聞くと、「英語は世界の共通語だし、国際化社会で生きていくには必要不可欠なんじゃないですか?」とか「世界中どこに行っても英語で通じるから便利じゃないですか」といった「判で捺した」ような答えが返ってくるという。

どこかで読んだか聞いたかしたことを鵜呑みにして、相変わらずこんな紋切り型、形式的なことしかいえないのも無理はない。自分でまともに考えたことがないからである。なおかつ、自分のやっていることが無意味だなどとはだれも考えたくはない。だれもが「国際化社会で生きていく」わけでもないし、「世界中どこに行」くわけでもないのである。いや、ほとんどの人間は無縁であろう。なのに、この自分はそういう種類の人間かもしれない、と思い込むわけである。

「このデジヵメ、10万画素ですよお。こんな新聞大の大きさに引き伸ばしてもこんなにクッキリ。これが10万画素の凄いところなんですよ、みなさん」とテレビで甲高い声で叫ばれると、「ほお、そりゃすごいね。10万ガソか。ガソってなんだ。」

「おい、母さん。あんなに引き伸ばしても大丈夫なんだって」って、毎日お茶を飲みながらテレビばかり観ている自分に、いったい写真を新聞大に引き伸ばすどんな必要や機会があるというのか、ということなど考えもせず、つい注文してしまうのとおなじようなものである。わかってる。ちょっとちがう。

藤田氏はこのようにいっている。まったく正しいではないか。「本当は自分には必要がないと気がつけば、すっきり『英語よサラバ!』と決別宣言して、もっと自分に意味のあることにエネルギーを傾ければいい。やはり必要なのだということになれば、強迫観念にひきずられる犠牲者としての学習者であることをやめて、具体的な目標やプロセスを冷静にプログラムして自分の目的に沿った自覚的学習者として効率よく英語に取り組むこともできる」。で結局、藤田氏の結論はこうである。

全国民的レベルでは実用的価値も社会的価値も怪しい英語教育なのだから、こうしたありもしない価値を求める英語教育は止めてしまえばいい、しかし、異文化接触による葛藤は子どもの成長に資するはずなので、そちらにシフトして、同時に英語だけではない外国語教育として間口を広げて展開していくのがいいと私は考えている。藤田悟編著「それでも英語やりますか」

もちろん、時代の趨勢はかれとは逆行している。早期英語教育でますます英語熱は過熱する一方である。たぶん、失敗するであろう。そしてアブハチ取らずの、もっと中途半端な日本人ができあがるであろう。藤田氏の提言は社会的合意をみないであろう。

「英語だけではない外国語教育」は教師の確保が難しかろう。もちろん義務教育では基礎力をつけるためにもやっていいと思う。外国語に興味をもつ機会さえなくしてしまうからである。それに日本人全員に英語は必要なくても、かれらから、やがて必要になるかもしれない可能性の機会を奪ってはならないからである。

受験から英語がなくなることはないだろう。企業が即戦力みたいに英語を重視することは増えこそすれ、減ることもないだろう。大学のゼミでの英語授業も増えるだろう。だったら、個人は「国際化社会で生きていく」だの「世界中どこに行っても通用するから」などという形式的な甘言に惑わされないようにしなければならない。英語がしゃべれれば、世界で数億の人間と話せる、なんてバカな商売言葉にだまされないようにしなければならぬ。英語をやるにしても、しないにしても、自分の頭で考えることである。

ロンドン大学に入ってから日本語の勉強をはじめたというピーター・バラカン。驚異的ではないか。大学から学んでもかれのように異国語が上達することができるのだ。かれはこのようにいっている。「英語圏で最低半年は暮らしなさい、もう、これだけ」。日本語の習得には「テレビがいちばん役に立った」「語学に必ずしもお金は必要ないと思いますよ。でも、お金の代わりに努力を払う必要はあるでしょうね」。

さらにまた、このようなことも。英語は「やる気があればやっていいと思う。だけど、やる気のない人まで強制的にやらせても、なんの意味もない」「別に誰もかれも英語を喋れなくてもいい。むしろ、自分の母国語である日本語を的確に使えるように努力することに、僕は意義があると思う」(同署)。

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